般若心経は一般の人々には仏教の経典であると思われていますが、実は宗教書ではありません。人間が現世に生きていることの見方、人間の正当な認識のしかた、悟りのしかたを述べているのです。
現世に生きている人間を正しく見ていきますと、一切空になるのです。肉体的に生きているということは、生きていると思っているだけです。目で見ているものがあると思っている。自分の思いがそのまま皆様の命になっているのです。これは生きているのではなくて、迷っているのです。このままでこの世を去ってしまえば、お先まっ暗です。
自分の常識を信じていること、自分の考えている人生があると思うことは大間違いです。皆様の人生があるのではない。生かされているということが、皆様という格好で存在しているだけです。
自分が生きているのではない。生かされているという事がらが、自分という格好であるのです。生きているというその事がらとは何か。これを神というのです。
皆様の心臓が動いている事がら、目が見えるという事がら、耳が聞こえるという事がら、人間の五官の働きはそのまま命の働きであって、命の働きというのは神の働きです。
命は物理的に働く事がらと、心理的に働く事がらと両方あるのです。皆様の目が見えるということ、耳が聞こえるということが、そのまま心理機能になるのです。
皆様は現在生きておいでになりますから、その命を勉強して頂きたいのです。これが聖書です。
般若心経で肉体的に生きていることが空だと悟ることです。人間の常識が間違っていることを知ることです。人間の常識が間違っていることを五蘊皆空というのです。人間の常識が間違っていることを悟る。これが般若心経です。
自分の目が見えるのはどういうことか、心臓が動いていることがどういうことか。神の命が皆様に宿っていることであって、この命の実質を知ることが聖書です。
常識が間違っているということと、今の実質を見ることの二つがあるのです。命の実質を見ることが救いになるのです。自分の考えが間違っていることを知ることは悟りになるのです。般若心経は悟り、聖書は救いを説いているのです。
般若心経は消極的に皆様を叱っている。 聖書は皆様を積極的に救うのです。この両方を勉強しなかったらだめです。日本人は両方共していませんから地獄行きです。文明のために日本人はこうなったのです。教育のせいです。
これからますます世の中が悪くなるのです。やがて世界の文明は潰れてしまうのです。
世間の人がそうなるのもしかたがないのですが、せめて皆様だけでも本当のことを掴まえて頂きたいのです。生きている命を本当に掴まえたら死ななくなるのです。
イエス・キリストは十字架につけられて殺されたけれども、イエスが生きていた状態が死ぬべき状態ではなかったために、生き返ったのです。復活したのです。イエスははっきり死を破ったのです。イエスが死を破ったという証拠に、日曜日という記念日があるのです。
イエスの最も分かりよい心境は、「自分が生きているのでは無い。生きているということが神だ」と分かっていたことです。神という事がらを生きていたのです。だから死ななかったのです。
(内容は梶原和義先生の著書からの引用)