彼岸という言葉が仏典にあります。これは此岸と対称されるものでありまして、聖書的に言いますと彼岸は神の国になります。あるいは神の王国と言ってもいいのです。
此岸はこの世です。この世から神の国へ移ることが必要です。現在生きている人間世界から、理想世界へ移るのです。これが般若波羅蜜多ということです。
此岸と彼岸がどういう関係になるのかと言いますと、岸というのは国、または社会という意味です。目に見えている森羅万象の世界は、目に見えないものによって造られているのです。
新約聖書ヘブル人への手紙の第一章三節に、「見えるものは現われているものから出てきたのではない」とあります。目に見えないものとは聖書的に言いますと、霊なることという意味です。
此岸というのは肉なる国です。皆様は肉体的に生きていると思い込んでいますが、実は肉体という考え方は、般若心経では色と言っているのです。
色即是空と言っていますように、色なるものは空だと言っているのです。色は空と同じものだと言っているのです。そしてまた、空即是色と言っているのです。
色即是空であり空即是色ですから、色も空も同じことである。彼岸も此岸も同じことであるとなるのです。これは思想としては分かりますけれど、肉の世界と霊の世界が一つであるというのはどういうことなのか。
皆様の肉体はないのです。空なるものです。ところが、空であるということが、皆様の肉体があるということになるのです。
皆様の肉体はないという見方と、あるという見方とどちらも正しいのだということを言っているのです。これを理論的に、科学的にはっきり認識すれば、この世の中は一つしかないことが分かるのです。
ところが、宗教ではこれが説明できないのです。宗教ではない般若心経、宗教ではない聖書なら説明できるのです。本当の命が分かり、命の目が開かれますと分かるのです。
命の目というのは、肉のものを見る面と、雲のものを見る面と両方の面を持っているのです。自分の霊魂にはっきり目覚めさえすれば、皆様の霊魂は、目に見える世界と、目に見えない世界とを一つの事がらとして、しっかり捉えるという考え方を持つことができるのです。
聖書はこれを信仰と言っているのです。イエスはこれを実行したのです。イエスは信仰によって生きたのです。信仰によって生きると、肉の世界と霊の世界が、はっきり一つのものとして受け止められるのです。
キリスト教はだめです。いくらキリスト教を勉強してもだめです。本当の意味での聖書はあるのですが、今の宗教では分からないのです。カトリック教会とかプロテスタント教会は、文明構造の一翼としてあるのであって、こういうものではとてもまともな聖書の見方はできません。
従って、霊と肉とは一つであるという説明は絶対にできないのです。
仏教では色即是空の説明は何とかできますが、空即是色の説明が全くできないのです。色が空であると決まっているなら、なぜ空であるものが色になって現われているのかということです。この説明ができないのです。
一切空と言って力んでいるお坊さんがいますけれど、一切空と言ってみたところで、空である自分がお腹がすいてご飯を食べているのです。
「悟りつつ 身はなきものと思えども 雪の降る日は寒くもあるかな」という歌がありますが、これが分からないのです。肉体が空だと思っている自分と、寒いと思っている自分とがどういう関係にあるのかということです。この説明が仏教ではできないのです。
宗教はどれもこれもいんちきばかりです。ところが、宗教の門から入らなければ、般若心経や聖書に出会うことができないのです。般若心経や聖書を皆様に紹介するという意味では、宗教も幾分かの効力があると言えるかもしれないのです。
もしキリスト教がなかったら、聖書が今日まで伝承されてこなかったと言えるでしょう。聖書を全世界に伝えてきたということは、キリスト教の功績と言えるでしょう。
しかし、聖書をばらまいただけで、とこしえの命が与えられるものではありません。全世界の文明国の人々はほとんど聖書を読んでいるのです。今必要なものはキリスト教ではない聖書の読み方です。これが全世界の人々に教えられなければならないのです。
仏教ではない般若心経の大哲理が述べられなければならないのです。本当の聖書がはっきり説明される時代が来たら、現在の文明とは比較にならない、本当の文明が現われるのです。現われるに決まっているのです。今はその直前になっていると言えるでしょう。
そこで、神が日本に本当の聖書の読み方を教えてくださっているのです。日本が改めて全世界に向かって、本当の聖書の読み方を教えてあげるべきだと思うのです。
光は東方からと言います。日本は世界の極東です。一番早く朝が来るのは日本です。聖書に対する考え方も、一番早く教えられるべきだと思います。
霊の世界も肉の世界も実は一つです。一つですが、その説明ができないのです。今の文明ではこれができないのです。今の文明の厄介にならないような気持ちで、宗教ではない命という場から見ていくという熱心さがあれば、皆様は必ず死なない命を見つけることができるのです。
人間は誰でもおいしいものを食べたいと思っています。なぜそう思うかです。また、性に対してなぜ人間は異常なほどの興味を感じるのかということです。ここに大きな秘密があるのです。
(内容は梶原和義先生の著書からの引用)