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はじめに

般若心経は非常に短い経典ですが、これは仏教全体の結論を端的に現わしたことになるようです。もっとも仏教と言いましても、原始仏教と中世の仏教と、現代の日本仏教とでは非常な違いがありまして一口には言えませんが、般若心経の五蘊皆空、色即是空、究竟涅槃という思想は、小乗、大乗仏教全体...

人間とは何か

人間とは何か、肉体的に生きている人間を人間とするのか、魂として生きているものを人間として見るかどうかです。客体的に存在するものを人間というのか、主観的に存在するものを人間というのかです。 客観的存在の人間と主観的存在の人間とは全く別です。ドイツの観念論哲学も全く間違っている...

究竟涅槃

般若心経に、「究竟涅槃」という言葉があります。「遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃」が、般若心経の目的になっていますが、遠離一切顚倒夢想というのは、人間の色々な思想は逆立ちしている。あるものをないもののように考えている。ないものをあるもののように考えている。これが顚倒夢想である。そ...

人生の目的

人間は自分で生まれたいと思って生まれたのではありません。自分の意志に関係なく生まれさせられたのです。これは、仕向けられたのです。人間の命の根本は、仕向けられた命です。これが分かれば、すぐしあわせになれるのです。自分で造りあげた命ではない、与えられた命です。...

声前の一句

臨済禅碧厳録第二十八則にあったと思いますが、「声前の一句千聖不伝」という言葉があります。「現前の一糸長時無間」という言葉もあります。声前の一句は千人の聖ひじりでも伝えることができないというのです。 声前の一句というのは、声が出る前の一つの言葉です。声が出る前の一つの言葉は、...

人空と法空

大乗仏教では、人空、法空と言います。人空とは主観的存在です。法空は客観的存在です。両方共空です。なぜ空なのか。空がなかなか分からないのです。般若心経を何千回読んでも、何万回読んでも空が分からないのです。塙保己一は一万二千回読んだと言われていますが、空が分からなければ何万回読...

向こう岸へ渡る

般若心経は、普通の人間が修業をして悟ったという形式をとっています。恐らく観自在菩薩というのは、ゴーダマ・シッタルダーという人物の別名だと思われます。ゴーダマ・シッタルダーという人物が、般若波羅蜜多を悟った。ゴーダマ・シッタルダーは、固有名詞の人間です。...

彼岸とは何か

般若心経は、般若波羅蜜多と言っていますが、彼岸がどういうものか、全然説明していないのです。彼岸へ行ったとは、何処へ行ったのか。向こう岸へ行ったというのでしょう。向こう岸は何処にあるのか。釈尊自身にも説明できないのです。 なぜかと言いますと、釈尊が見た一見明星は、やがて来るべ...

彼岸に行くために

般若心経は、彼岸へ波ることを言っているのです。彼岸とは何かというと、人間の本然性に帰ることです。人間の本願を獲得すること、本当の本心が彼岸です。 般若波羅蜜多が、人間がこの世に生まれてきた唯一、最高の目的です。ところが、般若心経で言う彼岸は、抽象世界であって、具体的な実体で...

彼岸

般若心経は彼岸という言葉を使っていますが、彼岸というのは聖書にある神の国です。ところが、般若心経では神の国の説明ができないのです。本当の命の説明ができないからです。だから生きていることが神だという説明が、般若心経ではできないのです。...

仏教と仏法の違い

仏法は釈尊の本当の悟り、新しい国、新しい命がやってくると言っていますが、これを説いても人々に分かりませんから、分かるように譬を説いたのです。これが仏教になっているのです。 仏教と仏法は全然違います。日本に仏教はありますけれど、仏法は一つもありません。日本は仏教国であって、仏...

彼岸に渡ることが人生の目的

般若心経は現世から出ることをやかましく言っています。彼岸へ渡れと言っている。彼岸へ渡るのですが、彼岸は何処にあるのか、彼岸とはどういうものか。彼岸の内容はどういうものかについては、ほとんど説明していないのです。これが般若心経の欠点です。...

大乗仏教の欠陥

今の人間は生きていながら命を知らないのです。命の本質を皆様がしっかりと掴まえれば、死なないのです。 命は死ぬべきものではありません。死ぬべきものではないから命というのです。それを、人間は死ななければならないと勝手に思い込んでいるのです。これが人間に共通する最大の弱点です。...

般若波羅蜜多

般若心経が優れている点は、般若波羅蜜多という題目にあるのです。般若波羅蜜多という題目は、彼岸へ渡ることを前提にしているのです。 彼岸へ渡る上智を般若波羅蜜多と言っているのです。キリスト教がいう上智は、人間が救われることを言っているのです。般若心経は彼岸へ渡る上智をいうのです...

袖すりあうも他生の縁

皆様はいろはカルタの中の、「袖すりあうも他生の縁」というのをご存知でしょう。袖ふれあうも他生の縁とも言います。たくさんの人が歩いていると、お互いに袖をふれあう時があります。 袖ふれあうも他生の縁の中の他生という言葉がおもしろいのです。他生とはどういうことかと言いますと、人生...

釈尊もイエスも東洋人

般若心経にある般若波羅蜜多ということは、彼岸へ渡る上智です。彼岸へ渡るとはどういうことか。これが般若心経では説明していません。 般若心経の一番最初に、観自在菩薩とあります。自在とは、初めからあるという意味です。 自はおのずからという読み方と、みずからという読み方と二つありま...

無常観

般若心経を読んでいる人は、日本には沢山おられますが、何のために般若心経を読んでいるのか、分かっている人がめったにいないのです。般若心経は、四角い字がやたらに並んでいるのです。読むのは簡単ですが、その意味を本当に捉えることが、なかなか難しいのです。...

イエスと観自在

三蔵法師玄奘の訳ですと、観自在となっています。鳩摩羅什の訳ですと、観世音になります。これは同じことであって、観自在とは自在を見るのです。観世音は世音を見るのです。音を見るのです。音は見えないものですが、これを見るのです。...

般若波羅蜜多の事実

般若波羅蜜多とは、サンスクリットでパニャー・ハラム・イターとなりますが、これは彼岸への上智ということです。向こう岸へ渡る人間の常識以上の上智ということです。彼岸への上智が大切です。 現在、人間が生きていることを、無条件で肯定しているという気持ちのままでは、般若心経をいくら読...

顚倒夢想

例えば目の前に赤と黄色の花があるとします。ところが赤というのは花が赤くないから赤く見えるのです。黄色い花は黄色くないから黄色に見えるのです。どういうわけかと言いますと、これは視覚の錯覚です。赤い花は赤い色を拒んでいるのです。拒否しているのです。拒まれた赤色が皆様方の目に映っ...

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